雪の坂道で

年の末に店が閉まる前に、市内のアジアンショップへ食材を買いに出かけた。その店は小高い丘の上にあって、ふもとの道を右折した直後の上り坂の上にある。いつもの感覚で道を曲がりその坂に差しかかると、視界から隠れていた雪のかたまりに車が乗り上げてしまい、前輪がスリップを始めてしまった。どうにかブレーキを踏んで、車が下がらないことを確認して少しだけほっとしたが、危険な状況に変わりはなかった。後続車を確認するためにバックミラーに目をやると、坂の下の対向車線に一台の車が止まるのが見え、運転席から降りた青年が私の車の方へ駆け上って来た。彼は自分が後ろから手でおすから、アクセルを踏めとジェッシャーしている。車は前へ動いた。彼のとっさの行動に助けられた私は、しっかりとお礼を言いたかった。しかし、その頃には既に両車線に車が支え始めていて、運転席の窓越しに大声でありがとうというのが精一杯だった。彼は大きく手を振りながら自分の車へ駆け戻っていった。

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大雪

昨夜からの雪がかなり降り積もっていた。今日は根詰めて仕事しようと決心して昼食持参で来たから、何時間も後になって夕飯を買いに外へ出ると、来た時の足跡も綺麗になくなっていた。

クリスマスイブ

今日は車で一時間半程の距離にある教会へ行って、クリスマスイブの礼拝に参加した。イブの礼拝は特別だ。

聖誕前夜。

生誕の瞬間は、死と共にすべての人の一生に必ず訪れる、二つの特異点のうちの一つだ。キリストの聖誕は既に過去の出来事だけれども、クリスマスイブのサービスに出る度に新たな聖誕の予感のようなものが感じられ、胸が高鳴る。

私が感じるこの高揚感は、この日のサービスが日が沈んでから行われることに強く影響されているのかも知れない。昼前に行く日曜日の教会と、暗くなってから行くイブの日の教会とは、明らかに感じが違うからだ。例えて言うとそれは、日が暮れた校舎に初めて入った小学生が感じる高揚感に似ているかもしれない。

その日の説教で、牧師は次のような話をした。

今から20年程前に自分が神学校の学生だった頃、イスラエルで遺跡を巡る研修が丁度年末年始にかけてあり、クリスマスイブの夕方には友達と一緒にベツレヘムに行く機会があった。行ってみると、市の中心部はコンクリート壁で覆われていて、大変、物々しいかった。自分たちが座ったカフェの前ではちょっとしたいざこざがあり、イスラエル兵がパレスチナ人を動かなくなるまで殴っていた。そんなベツレヘムに落胆しながら、数日前に訪れた街の外れの暗い路地にある土産物屋を再度尋ねると、店主は彼らを待っていて、約束通に料理を振る舞ってくれた。帰り際に店の品物をお礼代わりに買って帰ろうとすると、今日は商売をしたくないと言って、店主は断った。

礼拝の最後に参加者は、それぞれの手に持ったロウソクに灯を点し、ALL IS WELLを歌った。そして、曲の最後に手に持ったロウソクをより高く持ち上げ、直前に牧師が語りかけたように、闇を持ち上げ、希望の光を押し拡げた。

サービスの後に、この教会を引退した牧師に一年ぶりに再開した。昨年会った時には夏に亡くしたばかりの妻の思い出話を聞かせてくれたが、今日は数ヶ月前に出会ったばかりの新しい彼女と直に再婚すると言っていた。一緒に行った私の知人が驚いて知り合いのカウンセラーに問い合わせたところ、いい妻を亡くした人ほど早くに再婚するらしと教えてくれた。

The Book of Five Rings

今日は「五輪書」を読んでいるという人に出会った。ウィキペディアの日本語と英語ページの分量を比べてみれば、米語圏におけるこの類いの本の人気の程が窺える気がした。そしてふと、以前会った学生のことを思い出した。彼には川端康成とチャリー・パーカーを薦められた。